『エウレカセブン』

31話まで。
たまには、感想など書いてみようかしら。
このエウレカ、見ていてイライラするんですが、それはなぜかというと、その、なんというか、作り手、制作者の、無邪気さにあるのではないかと。
主人公・レントン少年のバカさは、恐らく制作側はナイーヴととって欲しいのだろうけど、うーん、そうはいかないよなあ。
致命的なミス、というか、人としてちょっとおかしい行動の数々(死にかけの少女を勝手に連れ出して、結果死なせてしまう、等)を、「少年特有の素直で直情的な行動」として見過ごす、どころか、熱い共感を求める、という視点に、違和感を感じます。
そして、その世界観。
なんか、いろんな地殻変動に見舞われてる地球(違うかも)みたいなところが舞台なんですが、主人公一行の行動原理もよく分からない上に、その理解を超えるバカバカしさにちょっとついていけなかったり。
たとえば、
主人公一行は、デカい飛行機に乗って移動しているのだが、なぜか雑誌を発行していたりする。
どうやって?
印刷機は積んでないようだから、データを発信して、どこかにある印刷所で刷ってるのだろうけど、誰が?
流通は?
それもメンバー?
その雑誌、あちこちに流通しているようだけど、それって、自分たちの首を絞めてることにはならないの?
平気で表紙が顔写真なんだけど。
お尋ね者ですよね?
これが情報戦?
まさか。
あと、これはいちゃもんではないんだけど、画面に登場する文字類、けっこう日本語が多いのは、別にいいんだけど、名前とか、固有名詞とかはカタカナ語多いですよね。
そのうち拾う伏線なのかなあ?
海外(アメリカ)展開のときに、画面に漢字とか入ってるとクール(←この言い回しを使ってる人はみんなバカに見える)だからかなあ。
この作品中に頻繁に引用される、かつてのアニメやなんやの先行作品からのガジェットの濫用もコミで、基本設定に、ユルさを強く感じます。
引用がいかんと言っているのではなくて、その使い方が「安い」んですね。
製作者は多分私とそんなに歳が変わらないと思うので、余計にその辺りが気になるのかなあ。
もうね、ヤマトとかガンダムとかエヴァとかボトムズとかで刷り込まれた知識の断片(フライホイール始動、とか、パイルバンカーとか、昔のアニメで聞いた固有名詞ばかり)を、楽しそうに羅列している姿が、ちょっと辛い。
引用先がメジャーすぎてまる分かりなのって、私は格好悪いと思うんですが。
主人公は、まあはっきり言ってバカにしか見えないので、まったく感情移入できないのだけれど、しかしそれ以上に、周りを取り巻く人々もすべてガキ臭いので、そんなレントン君にも居場所が出来てしまう、というのが、私には「甘え」にしか見えないのですよ。
主人公が世界と対峙するということは、もっともっと恐ろしく、厳しいものなのではないのかなあ。
レントン少年が、どんなバカポカをしても結局は周囲に許されてしまうように、制作者も、許されたいのだろうなあ、と感じました。
アウトローたちが、自分たちのミスでなく、世界(オトナでしょうな、これは)に追われ、逃げ回るという、甘い逃避への憧れ。
そして、追われるだけじゃイヤなので、それに反論すべく、雑誌の発行というウラ技で、自分たちを取り巻く無理解者(オトナ)の、さらに外側に、真の理解者を置こうとする、被保護の構造。
ああ、先回りした言い訳を感じるんだけどなあ。
まあ、まだ20話くらいありますし、結論は急がないようにしましょう。
回収してない伏線もたくさんあるしね。
それに、なんといっても、作画レベルは高いし、これが毎週毎週1年も放送されてたという環境自体は、評価に値しますね。
最近のアニメは、ヒドいのが多いからなあ。深夜枠なんか、見てて眩暈がしますよ。
あんなの、本当に必要としている人が(商売が成り立つくらい)いるのかなあ?